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コラム
 
医療経営の「常識」を疑うー見る角度を変えてみると
メディサイト 松村 眞吾

 いわゆる2025年問題の年を目前に控え、またポストコロナに入りつつある今において、医業収入の伸び悩み、コロナ対応補助金の減少、諸物価上昇と人件費負担の増加など、経営環境の悪化は必然となって来る。人件費率は50%が上限だから削減を考えなければなどと、人的資源投資の必要性に逆行するような愚行は避けなければならず、また地域全体最適ではなく独り勝ちを目指すような経営も、人口減少と超高齢社会においては有効ではない。国の方針も「競合から協調へ」を目指す方向にあることを認識しておきたい。経営大学院で社会人学生の研究指導などに当たり、現場での実際を知る立場にある筆者などは考える。「常識」は経営の役に立っているのか。本当は違うのではないか。

 複数の現場からの報告に意外感と納得を得ることがある。ひとつは、「在院日数短縮はもはや収益向上にならない」というものである。例えば地域包括ケア病棟での職員離職率の高さが問題視されてきた病院も多いが、実は高度急性期においても同じような問題が生じている。超高齢化を迎えて入院患者も80歳代超が増えて疾患構造は複雑化する。結果として急性期入院料1算定の病棟(7対1看護配置病棟)も地域包括ケア病棟も混合病棟化し、看護などの負担が重くなっていく。エンゲージメントの低下、その結果として離職率の上昇、リクルートコストの増加となる。

 地域包括ケア病棟などは総合診療機能が要求されるが、総合診療医は足らない。それを補う可能性を持つのが、例えば特定行為看護師だ。優れた技術を持つ看護人材は病棟の機能強化、職員のエンゲージメント向上にも役立つ。そういった人材を引き寄せるには何が必要か、よく考えてみたい。医療資源の短期集中投入がDPC時代の「常識」であるが、現場のエンゲージメントは変数に入っていない。もっとも診療密度を低下させるような在院日数延長は必要ないと考える。一部の院長、事務長らが気にする空床発生防止のための在院日数延長指向は収益向上に逆行するガ、経営をトータルで捉えてみた時、何が必要かが見えて来る。

 もうひとつの例を挙げる。医療と介護の連携の話になる。老健、特養など施設類型によって異なるが、よくあるのが、医療機関側が「報酬が安い」からと協力医療機関の役割を果たすことに消極的となり、また介護事業者側も医療機関側が要求するフィを高いと難色を示すことである。医療側は「損してまで看取りなど引き受けられない」となり介護側は「相場以上のものは払えない」となる。ここにあるのは、診療報酬、介護報酬といったものに囚われた「制度に対応するのが経営だ」という思い違いの「常識」である。

 実際のところはどうなのか。かかりつけ医として、日常から介護側からの相談に応じ丁寧な対応をする医療機関がある。一方で「利益にならない」と通りいっぺんの対応に終始する医療機関もある。介護事業側は前者を信頼する。結果として現れるのは、何かあった時には前者に入院するという現象である。本丸の入院収益に貢献するのはどちらか。また医療機関側に十分なフィを支払う介護事業者は、かかりつけ医機能が効いて入院リスクが低下する。それでも入院は発生するから上述医療機関の経営はプラスであることは変わらないが、入院リスクの低下は空床率の低下に直結する。介護事業側にとっての収益低下リスクの回避効果は大きい。

 これまで述べてきた「在院日数を延ばす」、「目先の診療報酬ではなく信頼関係の構築に重きを置く」ことの収益上の効果は財務データで立証することが可能である。後者に関しては、軽症救急の削減にもつながる。トリアージ機能が可能になるからである。コロナ禍を経て、医療介護業界は、いろいろな苦境を味わった。これからは少子化による人材不足、支え手不足という試練が待ち受けている。課題解決に何が必要か。しっかり考えていく必要がある。目先の報酬の金勘定に囚われないことが肝だろうか。求められているのは従来の医療経営の「専門家」が言うところの報酬対応ではなく、「常識」を疑い、職員のエンゲージメントや連携における「信頼」というものをつくっていくこと、それを考えることが戦略となり組織強化になっていくということではないか。

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