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コラム
 
 「視座の衝突」を超えて
濱井 和子 氏 大阪芸術短期大学部 准教授

 一般にサービス業は、「顧客を知り、顧客のニーズを充足」させるための様々な工夫や「顧客とともに新たな価値を創造する」努力をしている。こうした活動の前提にあるのは、顧客と組織との対等な関係である。一方、医療サービスにおいて医療従事者と患者の関係は、医学知識の多寡に基づいた「権力関係」とか「親と子の関係」などと表現されてきた。これは、患者が人のからだの構造と機能、病態や治療方法に関して、専門職である医療従事者よりもはるかに無知なために、彼らの支配を受けざるを得ないというものである。

 しかし、一度でも大病を患い医療サービスを利用すればわかるとおり、医療組織が提供できているサービスは極めて限定的で貧しい。たとえば、私自身10年ほど前に大病をしたときは、矢継ぎ早に治療に関する意思決定を迫られるばかりで、病名を告げられて乱れる患者の心を支えようとする専門職の活動には全く遭遇しなかった。病名告知から入院までの数週間、とんでもない恐怖を一人ぼっちで耐えなければならなかった。実際に治療が始まってからは、こまごまとした不快症状が次から次へとやってきた。それを医療専門職に語ると、消極的な共感を示された。場合によっては「命を救うための治療なのだから少々のことは我慢するように」とほのめかされた。本当に救いようのない日々だった。

 こうした苦痛を和らげてくれたのは、患者会で知り合った同じ「病い」をもつ人々であった。医療組織のなかで、専門職から、無意識にあるいは時に意図的に見過されてきた苦痛が理解された時のことを、私は忘れることができない。まさしくあれこそが安堵というものだった。それだけでなく、患者仲間は、病いのなかでうまく日々を過ごすためのいくつものヒントを授けてくれた。もっと早くにこうしたサポートを得ていれば、無駄に苦しむ必要はなかったと振り返ってつくづく思う。

 今日の医療組織は、自らをサービス組織と規定し、「患者中心の医療」や「患者満足」などを訴求している。しかし、医療組織のもつ医療サービスの概念自体が「診断と治療の技術の進歩」のままほとんど変化していないので、陳腐な患者中心や陳腐な患者満足になってしまっている。患者が求めているのは洗練された医療技術だけではない。病いがあっても幸せに生きるための様々なスキルやサポートを求めている。そしてこれらのスキルやサポートに関連する知の多くが、病いを経験し生き延びた人々の中だけにあることに医療組織・医療専門職はそろそろ気づいてはどうだろう。医療専門職と患者は、それぞれが異質な知識、価値観、評価基準を持っている。かつてフリードソンはこの異質な二つが出会う診療場面を「視座の衝突」と描写した。医療組織は、この衝突場面を制圧対象と見做すのか、あるいはあらたな創造の機会ととらえるのか…。私個人は、異質なものをうまく組み合わせてサービスを設計すれば、新たな地平に立つことができるととらえている。

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