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コラム
 
多職種チームのボトルネックを解消するために
メディサイト 松村 眞吾

 地域包括ケアシステムが課題とされ、機能強化・分化と連携が強調される。機能を強化
するためには専門性を高めることだとなって、医療の専門分化=分業が医療の質を高めると考えられている。もちろん、単なる分業ではシームレスなケアにならないので、多職種協働とか連携が強調されるわけである。「顔の見える」関係づくりが奨励され、実際、多職種が一緒になった勉強会の開催が盛んにおこなわれるに至った。薬剤師などの病棟配置加算やNST(栄養サポートチーム)の評価、クリニカルパス評価などが診療報酬上などに盛り込まれ、チーム医療、医療介護連携が国策として推進されている。

 経済学的には分業の利益は定理である。18世紀のリカード、アダム・スミスの昔から分業は正しいとされてきた。確かに分業は生産性を上げるものである。ただ行き過ぎるとどうなるか。各工程で最適を考えるが、全体を見て最適を考え、仕組みを作る存在がなければどうなるか。部分最適は全体最適を妨げる。工程間のすき間の仕事は誰が担うのか。作業のスピード格差などの考慮がなければ、工程と工程の間に仕掛り在庫が積みあがってしまう。全体が見えないとやる気も落ちるというものだ。

 医療現場はどうなっているのか。「医師は会議にも出てこない」、「介護にとって医療の敷居は高い」、「専門、認定看護師になったのだから専門の仕事をやらせて欲しい」、「医療事務はレセプトの専門家だ」等など、各職種とも自分たちの砦に立て籠もってはいないか。勉強会で「顔の見える」関係ができたと、喜々としてフェイスブックなどSNSに投稿する人間も多いが、いざ仕事の場面での信頼関係はできているのか。1日、一緒に勉強して飲み会をしたくらいで職種間の、仕事上の信頼関係ができるなら、こんな楽なことはない。

 制度的にはどうか。地域医療連携推進法人制度などがメニューに加わったが、経営統合するだけでチームが機能するわけではない。この新しい法人類型で何か可能になるか、資料を読んでみても、さっぱり分からない。施設間、職種間のコンフリクトは「信念対立」であり、それぞれの「正義」がぶつかり合う。そのマネジメントに触れない制度など現場では機能不全を起こしかねない。

 丸山眞男の「日本の思想」を読む。明治以降、西洋の思想、技術が入って来るが、その根底にあった歴史文化は共有されることなく、専門毎に使う言葉が異なるという状況を招いた。共同体社会であった日本では、個人主義の西洋とは異なり、各専門が共同体を作ってタコ壺化するに至った。協働・連携するに必要なコミュニケーションがない専門分化=分業が進んだというわけである。

 「オランダのビュートゾルフが素晴らしかった」と同国のチーム活動を讃えても、それがそのまま日本に移植できるものではない。それを知るべきだと考える。日本の風土において、専門分化=分業は逆機能(逆効果)を起こした。私たちは、こういった文化背景を踏まえて多職種チームを考えなければならない。全体を俯瞰するジェネラリストが鍵を握ると、筆者は考えている。形を真似るのではなく、理念、共通目的の伝道師が必要だと考える。総合診療医、医療職のジェネラリストとしての看護師、そして席を温めずに病院中と地域をラウンドする事務長に多職種チームのボトルネックをつぶす役割を期待したい。

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