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コラム
 
「どう生きるか」を問うスピリチュアルケア
佐々木 慈瞳(音羽山観音寺副住職)

 「スピリチュアル」という言葉は、医療介護の場では「健康」を定義する柱として、その人の生きる意味、存在を支える土台、と理解されている。誰でも健康でありたい。自由に行動し食べたいものを食べる。安心できる居場所で周囲から大切にされる。誰かを支えたり期待を背負ったり、理想を描きながら自分自身を作っていく。

 けれども、病気や怪我は突然やってくる。今まで当たり前にしてきたことが出来なくなる。身体が動かず食事ができず、病院か家かと居場所に迷う。治療の不安、生活の心配。誰かの世話が必要となり、見た目も変貌してしまう。描いていた未来像が崩れると、それまで頑張ってきたことも全て無意味だったのかと打ちのめされ、自身の存在(=スピリチュアリティ)も危うくなる。

 最近の医療は、そうしたすべての苦痛を対象に全人的ケアを志向している。身体的、精神的、社会的、スピリチュアルの側面から患者を理解し、医師や看護師、薬剤師やリハビリ、栄養士、心理士、介護士、MSW、ケアマネ、多職種の専門家がチームを組んで動く。医療主導ではなく利用者中心、患者の尊厳を重視する。耳触りの良い響きだが、これは患者側の意思が求められるので、かつてのように「先生にお任せします、万事よろしく」というわけにはいかない。多職種のスタッフから次々と「希望は何か、これからどうしたいか、どこまでの治療を望むか」と訊かれる。突然の不調に身も心も落ち込んでいるときに、普段の生活では考えることもない「人生の希望、生きる意味、自分の存在」という重くて深いスピリチュアルな問いが繰り返される。

 先日、病院で庭師の青年と出会った。彼は日本庭園に魅せられて京都で修業を積み、独立したばかり。身体が大きく力も強く、病気とは無縁と思っていたのに、進行性のがんが見つかった。治療中の彼を訪ねた何度目かのとき、彼は「スカシ」の技術について教えてくれた。樹木の手入れは枝の剪定が重要だが、どの枝も必要があって伸びているので、落とす枝を決めるのは勇気がいる。「捨てることで美しさが見えてくる。全体の姿を見て、未来を想像して、何を残すか決める。それにはね、迷いを振り切る勢いがいるんです」。

 話を聞きながら「断捨離」のようだと思った。無駄を省くとか不要なものを捨てるという発想ではない。大切に集めた「モノ」を見つめなおし、感謝しつつ手放すことで、執着から離れて身軽に生きられる。「スカシ」は樹木の何百年も続く価値を決める断捨離のようだし、それを語る彼は身体の機能を少しずつ失いながら、迷いを振り切って自分の価値に向きあおうとしているようだった。

 健康で日々奮迅して突っ走っているとき、生きる意味は目の前に溢れている。お金、名誉、業績、成功、称賛、外から与えられるもので満たされている。その中で何を残し、何を捨てるか、自分の時間や関心や関係を見つめなおし、外付けではない自己の内側に価値を形成していく。人生をどう終えるかではなく、どう生きるか。スピリチュアルな問いは病床で初めて振られるのではなく、常に人生の歩みの傍らにある。スピリチュアルケアの真髄も彼我の生きざまの中にあるように思う。

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